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性的暴行の被害にあったトランス女性の私が、沈黙を破る理由

「私が口を閉じていたのは、あまりにも多くの人々が、トランスジェンダーの女性は『気持ち悪すぎて』襲われるわけがない、私たちトランスジェンダーのほうこそ性犯罪者だと思い込んでいるからだった」

それは2012年のハロウィーンのころ、私がトランスジェンダーであることをカミングアウトして半年後のことだった。ワシントンD.C.で大学3年生を終えつつあった私は、トランスジェンダーであることを公表したばかりの自分の人生に、まだ完全には慣れていなかった。当時の私は自分の外見にひどく自信がなかった。何とかまわりに溶け込もうと必死で、一般的な意味で魅力的な人だと思われたいと切望していた。

世間から見て、私が好ましくない人物であることは明らかだった。私が「トランスジェンダー」という言葉を初めて聞いたのは、あるシチュエーションコメディーのなかだった。そのエピソードでは、私のようなトランスジェンダーに対して魅力を感じるシスジェンダー(身体的性別と自分の性同一性が一致している人)が、笑いの種にされていた。

華やかなトランスジェンダーのゲストキャラクターに誰かが興味を示すたびに(番組の主要登場人物のほとんどは、彼女のアイデンティティーをまだ知らなかった)、そこにラフ・トラック(録音された笑い声)がかぶさった。その後も、大衆文化から政治にいたるまでのすべてが、「トランスジェンダーは良くて笑いの種、悪いと性犯罪者」というメッセージを延々と強調していた。

だから私は、その年のハロウィーンシーズンのあるパーティーで、金髪のイケメンが私の腰の手を回してきたとき、とてもうれしかった。その晩、彼がキスしてくれたとき、光栄に思った。私がトランスジェンダーであることは気にならないと彼が意思表示してくれたとき、ひとことで言えば、ありがたいと思った。

たぶん彼は、私の不安に最初から気づいていたのだろう。たぶん彼は、私たちの力関係を直感的に悟ったのだろう。シスジェンダーでストレート男性の性的欲望を持つ彼は王族であり、トランスジェンダー女性であることをカミングアウトしたばかりの私は農民だった。いずれにせよ、はじまりは2人の合意に基づくものだった。友人たちが帰宅してパーティーも終わり、気づくと1階にいるのは私たち2人だけだった。彼の行為がエスカレートしてきた。

彼が私の嫌がることをし続けるので、私は「それは困る」と言い続けた。

「そんなことをされるといやな気持ちになる」と私は彼に言った。

最後にもう一度、「本当にイヤなの」と言って、私は抵抗を示した。

でも、彼は行為を続け、強要を続けた。彼は欲望の塊と化していた。

このつらい体験のさなか、私は心のなかで自分に対して、「お前はラッキーだ。彼はお前に興味を抱いてくれたのだから」と言っていた。そのころの私は、私の体は社会から非常に嫌悪されるものだというメッセージを内面化していたからだ。彼は私の上に乗り、どんなノーの返事も受け入れなかった。ついに私は抵抗するのをやめた。

自分がそのすべての瞬間を嫌がっていることは自覚していた。その行為の最中、無力感にさいなまれていることも自覚していた。自分が「イエス」の声を発していないことも自覚していた。けれども、我が身に起きたことを私がはっきりと認識したのは、翌日、親友のひとりにこのことを話したときだった。

そのときのことをくわしく公表するのは今回がはじめてだ。あのときのことを思い返し、その表面をなぞるだけで心臓がバクバクする。世に知られたトランスジェンダー擁護者として、私は自分の人生のほとんどすべてを公にしている。だが、自分も「サバイバー」であることを初めてTwitterで公表したのは、まだつい先日のことだ。公表までは、そのことを知る人は片手で数えられるほどだった。


2017年10月15日、私のTwitterとFacebookのフィードは、ハーヴェイ・ワインスタインのセクハラ疑惑に端を発したSNS上でのキャンペーンに参加する、あらゆるジェンダーの人々(とくに女性)でいっぱいになりはじめた。こうした人々は、「私も(#MeToo)」と投稿することで、性的暴行やセクハラの蔓延について告発していた。その日、私は一晩じゅう寝返りを打ちながら、自分の体験を公表すべきかどうか思案していた。こうしたことをほかの誰かに知らせる義務など誰にもないが、自身の声の力をちゃんと行使して自分の体験を公表する多くの人々の勇気に、私は力づけられていた。それは団結を示す行動だった。私は5年間で初めて、サバイバーとしての自分のアイデンティティーを公表することに安心感を感じた。

ほかの人たちと同じように、私も最初、多くの理由から、口を閉ざしていることを選択した。社会というものは、サバイバーの言うことなど信じてはくれないことがわかっていたからだ。我が身に起きたことを理解するのに自分でさえ時間がかかったのに、ほかの誰が私を信じてくれるだろう、と思っていた。

さらに、私が黙っていたのは、自分の体験を語るサバイバーの多くに疑いの目が向けられるだけでなく、トランスジェンダーはしばしば、また別の不信感に直面することもわかっていたからだった。それが根差すのは、「トランスジェンダーのような気持ちの悪い存在が襲われるはずがない」という世間一般の認識だ。レイプやセクハラの容疑者は時おり、告発者は魅力がないので襲うに値しない、自分がそんなことをするはずがないと主張する。我々はそうした答弁を、現職の大統領の口からさえ聞いてきた。

私が黙っていたのは、私を「セクシャライズ」する(性の対象にする)話はいかなるものであれ、女性として、そしてトランスジェンダー擁護者としての私の声を弱めてしまうだろうと思っていたからでもある。ただでさえ女性やトランスジェンダーは、人間としてではなく、体だけで判断されることがあまりにも多い。人々の好奇心や、プライバシーを侵害するような私への質問が、これを含むあらゆる問題に対して私があげる声をかき消してしまうかもしれない、と私は懸念していた。

また、私が黙っていたのは、人々が「トランスジェンダー」という言葉と「性的暴行」という言葉を同時に聞くと、彼らの思考は実態を無視して、「トイレで性犯罪を行うトランスジェンダー」という危険な通説へと直行することがわかっていたからでもある。トランスジェンダーの平等に反対する活動家は、「トイレにおけるトランスジェンダーたちへの保護」にまつわる懸念を激しくあおってきた。だから私は、自分の体験を公表すれば、トランスジェンダーに対する暴力(性的暴行を含む)を実質的に助長してしまうような反トランスジェンダー政策への支持を、図らずも強めることになってしまうかもしれないと心配したのだ。


私が自分の体験を公表するのは今回が初めてだが、そうしようと思ったのは今回が初めてではない。

暴行を受けてから8カ月後、私は故郷であるデラウェア州の議会に臨席していた。私は当時、雇用や住宅、そしてトイレを含む公共空間などにおける差別を許さないという州の保護策に、ジェンダー・アイデンティティーを追加しようという運動の主要な広報担当者を務めていた(この運動は後に成功した)。

私は、何十人というあらゆる年齢層のトランスジェンダーとともに、何時間にも及ぶ議会の議論に耳を傾けていた。その議論では、私たちの市民権に反対している一部の人が、時にはそれとなく、時にはあからさまに、トランスジェンダーを性犯罪者になぞらえた。

「あまりにひどい……」と思いながら、私は咳払いをした。この不愉快な嘘に反撃する準備は整っていた。彼ら(全員、男性)は、性的暴行からの市民の保護を声高に叫び、トランスジェンダーを脅威として仕立てあげようとしていた。トランスジェンダーたちの多くは私のようなサバイバーなのに。

私たちが要求していたものと同じような法案が、10を超す州と100を超す地方自治体で可決していたが、一部が心配していたような公衆安全をめぐる事件の増加はまったく見られていなかった。実際のところ、トランスジェンダーの47パーセントが、人生のどこかの時点で性的暴行を受けたことがあると報告している。トランスジェンダーがトイレ内や周囲で襲われるケースもある。トランスジェンダーは、こうした場所で性犯罪を起こす側ではなく、被害にあう側であることが圧倒的に多いのだ。

事実と数字をあげて、彼らの欺瞞に満ちた主張に反論した私は、自分がサバイバーであることを公表する心の準備をした。だが、そうするのはやめた。もし私がそのことを公表しても、私の口から発せられるさらなる言葉を聞く人など少ししかいないことはわかっていた。一部の人々は、サバイバーが言うことなど信じない。私のようなトランスジェンダーもサバイバーになりうる、ということが信じられない。そのいずれか、あるいは両方が理由となって、私が言うことを彼らは信じようとしない、とわかっていた。

議場内外の人々の一部は、ゲイやトランスジェンダーに対する反感、および女性嫌悪(たとえわずかにせよ)のせいで、私との身体的な接触を示唆しただけで(それが合意にもとづくものか否かにかかわらず)、大きな嫌悪感を抱き、議論にならなくなってしまうであろうこともわかっていた。そして、私が提起するほかの点もすべて理解してもらえなくなってしまうであろうことも。


このようにして抑圧のシステムは機能する。私が女性として直面する暴力や差別、汚名は、私がトランスジェンダーとして直面する暴力や差別、汚名を悪化させる。逆もまた同様だ。

しかし、いま私がこのことをすべて安心して公表できるという事実には、私自身の特権が反映されている。トランスジェンダー擁護者として直面する脅迫だけでなく、女性として直面する嫌がらせも依然として続いているものの、私は性的暴行犯と一緒に働いたり、暮らしたり、会ったりしなくてもいい。彼の報復を恐れなくてもいい。

私が白人であることや経済的な特権、健常者であるという特権、家族からのサポートといった要因のおかげで、私は、考えうる最悪の結末から守られている。しばしば命取りになるこうした結末は、女性嫌悪や人種差別、トランスジェンダーに対する反感などからなる毒性化合物によって引き起こされる。こうした毒のカクテルにより、今年これまでに23人のトランスジェンダーが殺されている。そのほぼ全員が、有色人種のトランス女性だ。トランスジェンダーの正義は私たちに、他者の人生をおとしめ、その自主性を減じるさまざまな偏見と闘うよう求めている。

私はトランスジェンダーとして恥辱と恐怖の20年を過ごしてきたが、何年か前にやっと、自分の声の力を認識した。そして最近、多くの人々の勇気と団結を通じて、私は性的暴行の被害者として、自分の声にようやく自信と力を見出すようになった。私にとって、その傷はいま癒やされつつある。

自身の体験を公表した人々であれ、口を閉ざしたままの数えきれないほどの人々であれ、すべてのサバイバーに向けて私は、私はあなたと共にいると伝えたい。そして今年10月、メッセージを投稿して、私に力をくれた人々にも、いつかお返しができたらと思っている。彼らは、胸が痛くなるが力強いあの言葉、「me too(私も)」という言葉を共有する勇気を見せてくれたのだ。


サラ・マクブライドは、アメリカ最大のLGBTQ人権団体「ヒューマン・ライツ・キャンペーン」の全米広報担当スタッフ。自著『Tomorrow Will Be Different: Love, Loss, and the Fight for Trans Equality(明日はきっと違っている:愛、喪失、そしてトランスジェンダーの平等を求める闘い)』がアメリカで2018年3月に出版される予定。

この記事は英語から翻訳されました。翻訳:阪本博希/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan


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